FREE MAGAZINE 価値

選択選択

 あなたはどのボタンを選んでここへ来ただろうか。そしてなぜそれを選んだのだろう。好きな色? 一番に目に入ってきたもの? なんとなくだと思ってても、必ず何か理由があるはずだ。
 僕らは常に選択を迫られる。あなたはこのままこのwebサイトに居続けることも出来るし、今すぐブラウザを閉じて“ハリポタ魔法同盟”に興じてもいい(願わくば前者であって欲しい)。

 2005年のTED Conferenceで、心理学者のバリー・シュワルツが「選択のパラドックスについて(原題:The Paradox of Choice)」というプレゼンテーションを行った。

 バリーはそこで「“選択肢が多ければ多いほど人は自由であり、幸せである”というのは間違いだ」と主張した。彼はその理由の一つをジーンズに例える。
 「私はいつもジーンズを履いてます。ある日何年も履き続けたジーンズを買い替えようと思いたち、ショップで『ジーンズが欲しい、私のサイズはこれです』と伝えました。すると店員は『スリムとストレートとリラックスどれにしますか? ボタンフライかジッパーにしますか? ストーンウォッシュそれともアシッド? ダメージ加工のものにしますか? ブーツカットにするかテーパードにするかそれともそれとも・・・』と永遠に続きます。私は呆れて何も言えなくなってしまい、ようやく出た言葉が『以前と同じものが欲しい』でした。」

 ところでNetflixは僕らの視聴データを収集し、各人の好みに合わせた作品をレコメンドする。しかもそのアルゴリズムは驚くべきもので、単に似たジャンルを薦めるだけでなく、そのユーザーが視聴した作品の順番、時間帯、1年前に何を見ていたか等様々な情報から好みの作品を弾き出す。そしてそこから初めてユーザーが自身で選択するのだ。モノやサービスに溢れる21世紀、これは幸福度の高い選択例の一つではないかと思う。放り出したくなる程膨大な選択肢から、ある程度まで人工知能に適したものを選び出してもらい、自身で抱えられるくらいの量になったところでようやく自らチョイスするのだ。まるでレンタルビデオ店の映画通の店長に、自分の好みに応じたオススメを数本選んでもらうように。

 選択肢があることは僕らを幸せにするし不幸にもする。その正体は一体なんだろう。選択出来ることはどれほど価値があるのか。逆に選択できないことの価値は何か。さて、今目の前にある選択肢を見渡すと・・・・・・・